先々週、奈良・京都にライトワークにでかけました。
今回は、現在個人的に「内的整理のとき」のせいか、体調にいろいろ出ているときだったため、
歩いているうちに足指がひどく痛くなったり股関節が痛くなったりで、
「筋骨格」的?につらい体験もし、師匠や同行の方たちにご心配をおかけしてしまいました💦
その反面6月の奈良京都ライトワークの時と少し違うのは、
目的の場所に前日に送る「式神」「分身」のうち、「分身」(ハイヤーセルフも含む自分自身のすべて)と顕在意識の自分との落差がこの前より「縮まっていた」みたい
ということです(^^)
なぜ「分身」と顕在意識の自分と一致しないかというと、その理由は私の無意識の「抵抗」がまだあるからなのです(>_<)
あくまでこの場合においての顕在意識の抵抗の中身は
「私にはそんな能力はない」「自分にできるわけがない」
といった自己否定、自己卑下の底深い無意識が「抵抗」となって、私の場合は身体反応として出やすいのです。
医学的にも私はストレスが素直に?身体に出やすい「身体表現性障害」タイプです(^^;)
そしてこの「抵抗」は「エゴ」または「自我意識」と言い換えることができます。
スピリチュアルな観点からいう自我意識は哲学や心理学でいう「わたしである意識」とは違い、一種の「防衛本能」のようなものといえます。
なにから護ろうとしているのか?
多くの場合は「怖れ」「怒り」「悲しみ」「現状」(人との比較なども)「本質的ではないプライドのようなもの」からですね。
そしてつくづく思いますが、顕在意識では「そんなものがある」とはまったくわからないのに
なにかをきっかけにわからせてもらえるという感じがします。
エゴは自分を否定されたときや認めてほしい、愛してほしいとき、相手の自分への態度、反応に対する自分の感情を生み出しています。
反面私たちは地球では特に人と関わることでこそ成長していけるものなので、この防衛本能を「悪」としてとらえるのもマズイと思います。
このエゴという防衛機制があることで、人間として簡単には「崩壊しない」根強さを身に着けているとも言えるのではと感じますし。
ただ!多くの「目覚めたい魂」を持った人たち、あなたもその一人かもしれませんが、
その人たちはもうこの防衛機制を無意識に使って「眠りの時代」を長引かせるのは多分本意ではないと思えます。
私自身がライトワークを体験する中で「分身との落差」で学んだ(学んでいる最中ですが)ことは、
あれこれ悩んでどうにかしようとか、がっかりしたりするより、
とにかく「抵抗はやめよう!」と少なくとも意識し始めたことです。
「サレンダー」という言葉をご存じですか?
サレンダーとは、目の前の現実、自分の思考、感情をそのままにしておき、大いなる存在にそのまま明け渡す、というような意味です。
多くのスピリチュアルに関心が深い人はこの言葉を知識としては知っていますが、
頭だけでわかろうとしても難しいので、みんな「難しい・・・」と悩みます(^^;
まだ本当にはわかっていないであろう自分が今言えるのは、起きることは起きるし、
自分の思い通りにいかないことというのは自分に大切なことを気づかせてもらえるために起きているようだ!
ということです。
あなたはどう感じていますか?
それではまたお会いしましょう(^_^)/~