3回くらい前のブログで「ソウルメイト」について書いてみましたが、
その中でこういうことも書きました。
ポジティブな関係性にしろネガティブな関係性にしろ、すべての人、特に親子関係に苦しむ人の場合はその関係がソウルメイト同志の「魂の磨き合い」ということはよくあるのです。
また、ソウルメイトではなくても親子に生まれるということは魂の縁が強くあり(過去生で何度も濃い関係性があるなど)、
それぞれの「魂のテーマ」をその関係性の中で見出し、この人生で解決しよう!という潜在意識の意図のもとに引き寄せられて家族として生まれてくるようです。
私自身は、私の母との共通のテーマは「ひどく傷ついたインナーチャイルド」を持っていてその望みに今世こそ気づき、その望みをかなえるということだったと思います。
ただ、母の場合は倒れる直前の数か月、長年の怒りや哀しみををすでにこの世にはいない母の父親や母親に吐露することはできないので、
代わりに(無意識に)私に対して毎日延々と吐き出していました。
聴く人は私しかいないため、私はその時は勘弁してくれーと辟易しながらも聴いていたのですが、そこから耳鳴りが始まってしまいました。
辟易しながらも聴いてあげないことに(そのときは)罪悪感も覚えたのと、聴かないと母が激怒するのがわかっていたので仕方なしだったのですが・・・
今わかったのは、このときの母は、既にこの世にいない両親に対して長い人生で言いたくてもずっと言えなかったことを代わりに私に吐き出していたんだなーということです。
それは母の問題であり感情なので、私は罪悪感なしに右から左へ聞き流していれば本当はよかったのですが、そのときはそれができず、職業柄?もあってついつい聴いてしまいました。
今はその時母がその長い間溜め込んだ怒りと哀しみを吐き出してから倒れたことがある種必然だったように思え、かえって母のためには良かったのではないかと感じています。
私は母が亡くなって8年半経った今頃になって母のインナーチャイルドの苦しみや叫びにやっと気づけた感じがしています。
私自身は魂の縁が深いその母の心の叫びと葛藤(母も気づいていなかった)を無意識に引き受けて病弱で、大人になっても神経過敏で不調の多い人間として育ったのではと感じています。
今日のタイトルは「子は親の問題を引き受けて病気になる」ですが、次にあるケースをあげてみたいと思います。
(内容のエッセンスはそのままで詳細は変えています)
<智美さん 14歳 中二>
智美さんは私がまだ心理を専攻していたときのフィールドワークでお世話になったあるクリニックで紹介されたクライエントさんでした。
中学2年生の智美さんは「不登校・拒食症」という診断を受けていました。
中2と聞いて驚いたのは、頭にミニーちゃんのような大きなリボンをつけ、服装もディズニー調の子供っぽいものでやせ細った身体に痛々しい感じがしました。
別のカウンセラーからの申し送りには「不登校気味ではあるが頭はよく元来成績も良く、負けず嫌いなところがある」とありました。
でも目の前の智美さんは寄る辺ない幼児のような雰囲気で話も自分からはしてきませんでした。
私は会話によるセラピーは難しいと思い、絵画療法的に、描いてもらった絵をとおして少しずつ会話をしていきました。
だんだんと関係性ができてくると、ぽつぽつと「成績が気になる」とか「可愛い服装が好き」とかの話の中に「お母さんが可哀想な人」というようなことを断片的に話すようになりました。
お母さんが可哀想という意味を聞いても「わからないけど・・・」とはっきりとは答えてくれません。
相かわらず絵を画いてもらい、その絵についての智美さんなりのストーリーについて話してもらうようなやりとりを半年くらい続けていくと、学校に行く日数がだいぶ増え、教室がダメなときは保健室登校ができるようになってきました。
言葉で表現するのが不得意でしたが、たとえば今日の面接は「…へ行くことになっていて楽しみなので、短くしてほしい」というようなことは事前にちゃんと言ってくれるとかえってこちらが助かるのよ、と伝えるとそのように事前に伝えてくれたりしました。
拒食のほうも退院時にこれ以上体重が減ると危険と言われていたのが少しずつ食べられるようになり、あともうちょっと増えると普通体重の瘦せ型に近いところまで近づいていきました。
ただ、「お母さんが可哀想」と前に言ったことについては触れようとしてもこたえてはくれませんでした。
途中一度だけお母さんとの面接をしたときがありますが、お母さんは智美さんの心配の話はしてもご自分やご家庭のことについては言葉を濁しているような感じを受けました。
それ以来お母さんとの面接はできませんでしたが、智美さんはどんどん回復し、1年経った頃にはほぼ毎日登校でき、食事も普通に食べられるようになって、カウンセリングの終結も視野に入ってきました。
ある日智美さんが落ち着かない様子で何か言いたそうだったので、何かあったのかな?と聞くと、しばらく沈黙したあと「お母さんとお父さんが離婚しました」とぽつんと言ったのです。
「え!?」と思うと同時に一回だけ会ったお母さんの何かお子さん以外の悩みを秘めたような様子が思い出されました。
まだ中学生の時に両親が離婚するというようなことは子供に多大な衝撃になるのが普通なので、大丈夫かなと思いましたが、
智美さんは「お母さんと暮らすことになりました。妹もです」と割合あっさり、というよりほっとしたような感じで言うのです。
そのあと何度か面接を続けた後、私は大学を修了し、就職のためにそのクリニックをやめることになり、しばらくはクリニックのメインカウンセラーが智美さんのカウンセリングを継続することになりました。
クリニックを辞めてしばらくしてからメインのカウンセラーに智美さんの様子を聞いてみました。
それによると、ご両親の離婚後は智美さんは逆に活き活きとした感じが増えて、不登校や拒食症の心配がほとんどなくなっているということでした。
その頃の私はまだ経験が浅かったせいでよくわからなかったのですが、
今はっきりわかるのは、智美さんのケースは智美さんがご両親の葛藤、特にお母さんの葛藤を心身で引き受けていた可能性が高いということです。
お母さんのカウンセリングはしていないので断言はできませんが、お母さんと智美さんは自分のインナーチャイルドの望みを表現できないで生きてきたという共通の苦しみ(テーマ)があるように思います。
お母さんが離婚という形で少なくとも自分の意志をはっきり示したことで、智美さんがお母さんの葛藤を引き受けないで済むようになったことが智美さんの改善をぐっと推し進めた要因といえるのではと思います。
智美さんのケース以外でも子供の不登校や引きこもり(発達障害や精神障害以外の心理的原因の場合ですが)は本人も親も気づいていない親の問題、葛藤を子供が引き受けているケースが多々あるように思います。
これらのケースについてもまた機会を見て書かせて頂こうと思います。
つまり、このような事例だと分かり易いのでご紹介してみましたが、
親子になるには親子になる「いわれ」がしっかりあるのだということです。
どんな人も必ず大中小のこころの「傷」を気づかなくても持って生まれていますし、その傷に気づいたり癒したり、新たに出発するためには、
その解決をし易い、「魂の縁が深い者同士」が引き寄せられて家族になっている!
というのが宇宙の仕組み?配慮?のひとつなんだろうなーと思えます。
あなたの場合はいかがですか?
それではまたお会いしましょう(^_^)/~